あおさです。
映画アテナ観ましたか?
1つの暴動事件を3人の視点からワンカットでシャープに描いています。
IMAXによる映像美もあって、全てのカットがビビッドにたっている為、臨場感がすごく、アクションモノとして充分に面白いです。
冒頭10分の暴動勃発⇨アジト帰還までのワンカットシーンは物凄く一見の価値があります。
おすすめです。
映画アテナの感想はこちらhttps://aosahataraku.com/?p=446
この記事でも記載しましたが、アテナの面白さはアクションや映像だけではなく、映画の中の人物がある種の世の中の縮図(ミニチュア)として描かれている点にあります。
私は基本的にはギリギリのところで、各登場人物の心情や行動は理解出来ました(支持や共感ではありません)。また、各人が私たちの現実世界だとどういった立ち回り、社会的位置付けにいるのかも、なんとなく想像できました。
が、唯一理解出来なかった(したくない)人がいます。
それは、セバスチャンです。
※以下ネタバレ考察含みますので、ご注意下さい。
見終わった後のセバスチャンに対する感想は、
「セバスチャン、お前はサイコパスか!」です。存在そのものが、一般的な社会通念から反して所謂「悪」。
映画ダークナイトのジョーカーも似た存在ですが、ジョーカーはぶっ飛びすぎてて現実味がないという逃げ道を与えてくれます(サタンという概念を体現)。
これに対し、本作アテナのセバスチャンは、ノーカントリーの悪役同様に、みるものに逃げ場を与えてくれません。映画の中でも、最終的にはアブドルを逃げ場なく建物ごと爆破させています。
この記事では、セバスチャンが何者であるか、を私なりの解釈で考えてみたいと思います。
結論:アブドルと同一人物(人間に潜む暴力性の示唆)と私は考える
私はこう考えました。なぜこう考えたのか、についてセバスチャンの具体的な登場シーン⇨行動原理から振り返り説明します。
セバスチャンの登場シーンについて
初登場:花壇を手入れする人?
・まず、セバスチャンが最初に出てくるのは本作の22分、アブドルの視点から花壇の花を手入れする人として描かれます。暴動が起きているのにイヤホンで音楽を効きながら慌てる様子もなく、花壇に手入れをしています。
・アブドルは、セバスチャンを避難させるのかと思いきや、託児室に連れていき待機するよう伝えます。
このシーンで、まず私は2つの可能性を見ながら考えました。
- セバスチャンは何らしらの障害を抱えている(爆発音のような大きな音に反応しない、耳から音漏れするくらい大きな音楽を聞いている)。一言も話さない。
- 暴動の発端となった死亡事故にとって、キーマン(託児室にかくまって外に出さないよう指示)。
2回目の登場:頼れる軍人?
・2回目に登場するのは物語の終盤113分がたった所、アブドルがカリムが殺されたことに激怒し、体制側に犯人を連れてくることを伝え、暴動を激化させるシーンです。
このときになって、アブドルはセバスチャンを匿ったところへいき、「力を貸して欲しい」と伝えます。
このシーンよくみると、何かのスイッチが入ったようにセバスチャンの目が深くなるのがみてとれます。
・このシーンから、セバスチャンが事件の革新に迫るキーマンではなく、武器の扱いに優れた元軍関連の人物であることが想定されます。
3回目の登場:暴走、そして自爆。
・ここから直接的には描かれないもののセバスチャンの暴走が始まり、銃器を使用した抵抗⇨クライマックスの建屋爆発まで一気に進みます。
・セバスチャンのキャラクターは、2段階の展開によってわかる構成になっています。初登場ではキーマン⇨二回目でニュートラルな元軍人⇨最後には過激な行動をとる得体の知れない人になります。
セバスチャンの行動原理:命令を暴力的に拡大解釈、忠実に実行。
・さて、このセバスチャンですが、行動原理は直接的に描かれていません。理由は、アブドルに力を貸して欲しいと言われたから、それだけです。
また、本映画の中では、言葉を話すシーンすらありません。
そして、最後にはおそらくアブドルと共に自爆します。
アブドルは「力を貸してほしい」と言いましたが、「銃器を使っての抵抗」や「自爆」までは命じていません。このことから、セバスチャンは命令を暴力的に拡大解釈し、自己犠牲もいとわず忠実に実行する人(集団)とも取れます。これは、軍人の一部分を強化していると考えました。
何故アブドル=セバスチャンの同一人物と考えたか
・以上も踏まえつつ、セバスチャンがアブドルと同一人物説を唱える理由は以下2点です。
1.アブドルの暴力性が物語が進むに連れて明らかになる点。モクタールを撲殺後、徹底抗戦。この暴力性の拡大とセバスチャンの暴走がリンクする。
2.セバスチャンが話しているシーンが皆無(セバスチャンがいかれたというシーンはあり)。周囲の人間とセバスチャンの会話も全く描かれていない。
ここから、セバスチャンはアブドルの内に潜む暴力性を表すキャラクターとして描かれているとみれないかと考えました。
・また、アブドルが序盤には常識ある立場として、体制側と暴動側の橋渡し役をしていることから、この暴力性(セバスチャン)は誰しもうちに秘めており、時に暴走し得る可能性を示しているとも考えられます。
・ユダヤ人大量虐殺を主導したアイヒマンが、何故そのような行動に走ったのかを具体的な実験から示した「アイヒマン実験」では、責任を放棄させた上で指示をされると一定数の人間は、残酷なこともし得ることを明らかにしました。
・これと同じくセバスチャンも、アブドルから「力を貸してほしい(責任の放棄+命令)」と言われただけで徹底的な抗戦を行いました。誰しもが内に秘めている暴力性は、責任を放棄して、単純な命令に落とし込まれると暴走する。
このことをセバスチャンというキャラクターを通じて、この映画アテナは描きたかったのではないかと考えました。
以上、本記事をご覧頂きありがとうございました。
参考:アイヒマン実験について詳しく知りたい方はこちら。
その他オススメの本はこちら
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